産業医・金子多香子先生へのインタビュー、いよいよ最終回です。

コロナ禍をきっかけに、リモートワークやハイブリッド勤務、フレックスタイムといった多様な働き方はすっかり定着しました。あの混乱の日々から数年が経ったいま振り返ると、「一人ひとりが自分で考え、選び、決める」という働き方の土台は、当時から静かに育まれていたことがわかります。

最終回となる今回は、「これからの時代を生き抜くために、私たち一人ひとりが何を意識していけば良いのか」を金子先生に伺いました。働き方が多様化した今だからこそ、色褪せない示唆に富んだ内容です。


▼ 前回までの記事はこちら ▼
【産業医インタビュー/第1回】コロナ禍の今、働く現場で起きていること
【産業医インタビュー/第2回】コロナ禍のリフレッシュのヒント・コミュニケーションの工夫

1)価値観の変化 ― 「自分で決める」が当たり前になった時代

編集部:
コロナがきっかけで変化した価値観はあるでしょうか?

金子先生:
コロナ禍が始まって、私たちは「自分で決めなければならないこと」が一気に増えましたよね。「いつ、どこであれば行っても良いのか?」

緊急事態宣言の頃は「不要不急とは何か」が盛んに議論されていましたが、あの経験を経て、一人ひとりが自分の責任で判断するという姿勢が、社会にしっかり根づいたと感じています。

自分の行動を一つずつ選択する。ワクチン打つ・打たないという選択もそうですし、ワクチンを打ったら旅行に行く方も居るでしょうし、打っても行かないという方もいる。

自分の頭で考えて、決める ― そうした風潮は、コロナ前よりも明らかに強くなり、この「自分で決める」という感覚は、今の働き方全般にも受け継がれていると思います。

編集部:
そうすると、会社と個人の関係性も変わってきているのでしょうか? 会社の人事担当の方々も「社員とどう関係性を築いていくか」に悩んでいらっしゃるのではないでしょうか?

金子先生:
かつては、会社が社員の健康からプライベートまで丸抱えで面倒を見る時代がありました。「会社」と「プライベート」がはっきり切り分けられていた時代です。

ところがリモートワークが当たり前になったことで、会社が家庭の中に入り込んできた。「プライベートとの切り分け」が以前よりずっと難しくなっているんです。

家で仕事をするとき、どのくらい休憩して良いのか。どの程度なら気分転換として許されるのか。その線引きは一人ひとりの判断に委ねられていて、会社が社員の健康管理としてプライベートにどこまで踏み込めるのか、判断が本当に難しくなっています。

編集部:
人事の方から「今の状況でどうしたら良いか分からない」という声もよく聞きます。

金子先生:
昔のように「みんなで仲間意識を持って同じ方向に走りたい」という気持ちは今もあると思います。ただ、それぞれの環境の変化に対応しきれない部分もあって、「働くこと」と「生活すること」の形そのものが変わり目を迎えているのだと思います。

健康診断後の保健指導の面談でも、以前はオフィスの場所から「ランチはあのあたりで食べているんだろうな」とイメージがつきましたし、朝食後から就業時間あたりまでを産業医として見ていればよかった。でも今は、在宅勤務の方が多く、どんな環境で仕事をし、何を食べているのかが想像がつきにくい。「どこまでを産業医が指導すべきか」、かかりつけ医との線引きも難しくなっています。この線がどこに落ち着くのか、産業医という制度自体の在り方も、これから問われていくと思います。

以前は職場巡視で椅子や机、姿勢まで見て回れましたが、家庭の環境は人それぞれです。ローテーブルで、床に座って仕事をしていて腰が痛いと言われても、全員に机を買ってあげるわけにはいきません。「どこまで会社が口を出していいのか」、今も悩ましいところです。

編集部:
そういう意味では、先生が数多く実施されている個別の産業医面談のような機会が、より重要になってくるのでしょうか?

金子先生:
そうですね。労働環境が一人ひとり違う分、個別によく話を聞いた上でアドバイスすることが重要になります。その方の環境の中で「どこまでなら変えられるか」「何なら取り入れられるか」を聞きながら、寄り添って進めていくようにしています。

環境を整えるにはある程度の投資も必要なので、「どこまでを会社が負担するか」という線引きは、これからも少しずつ変わっていくと思います。この状況下で働く経験を積むことで、一人ひとりの責任感や意識も、着実に変化していくのではないでしょうか。

2)情報過多の時代に求められるスキルとは

編集部:
そうなると、これからの会社に求められるのは「何から何まで手厚くサポートする」ことよりも、「いかに社員の自立を支えるか」がキーワードになるのでしょうか。「一人ひとりが自らの意志で選んで行動できるようになる」ことが、会社と個人が目指す共通のゴールになっていくのでしょうか。

金子先生:
コロナを経験して痛感したのは「情報が山ほどある中で、何を選んで、何を頼りにしていくか」がとても大切だということです。

1日中コロナの話題を聞いていようと思えば、テレビをつけっぱなしにしているだけでいくらでも情報が入ってきました。メディアや人によって見解も様々で、確かな情報もあれば、学術的な情報、根拠の怪しい情報も入り混じっている。そうした中で不安に飲み込まれず、「自分にとってちょうど良い情報量」を自分で決められることが欠かせません。

これは健康管理も同じです。サプリメントから運動、睡眠まで、あらゆる情報があふれ、様々なことが言われている中で、自分なりに選び取り、「自分はこれで良い」と思えることが大切だと思います。そうやってけじめをつけないと、情報に振り回されてしまいますよね。これがいわゆる「ヘルスリテラシ―」であり、その知恵をどう伝えていくかを、私自身いつも考えています。

「これを信じてください」と情報をそのまま伝える方が楽なんです。でも、世の中にこれだけ多くのものが溢れ、選択肢も豊富になっている今、「どこで、何を、どう食べるのが自分にとってちょうどいいか」というバランス感覚を身につけている人と、そうでない人の差は、これから更に大きくなっていくと思います。

編集部:
数多くの情報や選択肢の中から、自分で決めていくコツのようなものはありますか。

金子先生:
なかなか難しいことではありますが、自分の時間とお金、そして24時間の使い方をどうデザインするか、試行錯誤しながら経験を通じて身につけていくものだと思います。

例えばサプリメントも、一度に10種類も飲むのは明らかに過剰です。「自分は多くても3種類くらいにしよう」と決められれば、そのうえでどの3つを選ぶかを考えられますよね。ところが、宣伝に煽られて全部を取り入れようとすると、それだけでお腹がいっぱいになって、肝心の食事が摂れなくなってしまいます。

体に良いと言われるものを全部食べることが、必ずしも正解とは限りません。「ささみが体に良い」と言われても、それだけを食べれば良いわけではなく、トータルのバランスを考える力をつけることの方が重要なのではないでしょうか。

運動も同じです。やれば体に良いのは間違いありませんが、アスリートではないのですから、一日中運動ばかりしていては仕事にならないですし、やりすぎてケガをする方もいます。自分の年齢や体調にとってどれくらいの運動量がちょうど良いのか、自分で選び、決めていく必要があります。

何もかもがあふれている今の時代、自分の24時間をデザインして、取捨選択していく判断力がとても重要だと思います。そして何より、それが自分にとって気持ちよく満足できる生活であることが大切です。

とはいえ、「自己決定」がこれだけ重要視される世の中になると、みんな何を選べばいいのか迷ってしまいますよね。私自身も、正直まだ難しいなと感じることがあります。

編集部:
これまでは出社していれば、無意識のうちに時間の区切りがあり、ランチも周囲に合わせれば自分で選ぶ必要がありませんでした。働き方が多種多様になると、仕事とプライベートを分けて考えるのではなく、「一人の人間としての一日は全部つながっている」と捉えてプランしていけると良いのかもしれません。

金子先生:
そうですね。会社の勤務形態も、時短勤務をはじめ多様化してきたことを考えると、「今の自分にとってどのくらい働くのがちょうどいいか」を考えることこそが、本当の意味でのワークライフバランスなのだと思います。地方に住みながら仕事はすべてリモートで行う、という選択肢もありますよね。

「家にいなさい」と言われて初めて、自由であるがゆえに何を選べば良いのかわからない… ランチひとつをとってもそう感じた方は多いはずです。自由な分だけ知恵が求められる時代だからこそ、会社や社会がサポートすべきなのは「選び方」や「情報の取り方」そのものなのだと思います。

3)これからの時代を柔軟に生き抜くコツ

編集部:
24時間を自分でデザインして、自分の意志で選びながらコントロールしていく中で、自分自身の体調やメンタルを「セルフチェック」するオススメの方法はありますか?

金子先生:
そもそも「自分が今、調子がいいかどうか」ってわかりますか?

編集部:
一日を慌ただしく過ごしていると、なかなか気づけないですね。忙しくしているときはアドレナリンが出ているような感覚で、忙しいなりに何とか出来てしまったりもしますし、周りの友人を見ていても、セルフチェックやセルフケアの時間がなかなか取れないのが現実だと感じます。

金子先生:
そうですよね。人にはそれぞれ波があって、いろいろな生き方があって良い。「いつも同じように正しく生活しなければならない」ということではありませんし、アドレナリンを出して頑張るときがあっても良いんです。

かなり無茶な事をしても、戻ってこられれば大丈夫。皆さんが思っている以上に、人間は柔軟にできています。食事を1食抜いても大丈夫なように、2晩ほどよく眠れなくても、そのあときちんと眠れれば取り戻せます。

「いつもきちんと良い生活をしなければ」という恐怖心が強い方は多くて、「朝ごはんは必ず食べなければならない」と言ったりもします。でも、眠りたいなら朝食を抜いて、少しでも長く寝た方が楽な日もありますよね。もう少し肩の力を抜いて考えても良いのではないかなと思います。

ただし、時間があるのに眠れない状態が4〜5日続いてしまうというのであれば、専門家の話を聞いて、生活を振り返った方が良いかもしれないですね。あるいは、人と喧嘩ばかりしてしまう、家族につい辛く当たってしまうなど、自分らしくない行動が続くときも、一度立ち止まって「物事の優先順位を整理しなおしてみる」と良いと思います。

とはいえ、忙しい時期に半分徹夜みたいな状態で1週間過ごしても、その後元の生活に戻れるのであれば大丈夫です。「イレギュラーな生活をしてはいけない」と思い込むこと自体がストレスになります。1週間くらい運動しなくたって、きっと大丈夫じゃないですか。

編集部:
「真面目に、きちんとした生活をしなくちゃ!」という思いそのものが、ストレスになってしまうのですね。

金子先生:
そうなんです。「自分はこれでも十分頑張っている」と思えたほうが良いですし、やりたいことができているのであれば、多少いびつな生活でも「期間限定であれば大丈夫」と思えればいいですよね。

ただ、それがずっと引っかかって「自分のことを大事にできていないかもしれない」と感じるなら、生活を見直したほうが良いです。運動不足かもしれないと思うのであれば、不足しない程度に、自分なりに運動が出来ればいいのではないでしょか?

世の中に「これがいい」「こうしなさい」という情報が多すぎて、それに合わせようとするだけで疲れてしまうんですよね。

編集部:
世の中の「健康情報」や「理想のライフスタイル」をそのまま実践しようとすると、「できなかった」という経験だけが残って、結局やらなくなってしまうんですね。

金子先生:
もっと自分の体の声、自分の気持ちを大切にして、やったりやらなかったり、自由に選べるようになれば、体調を崩す人も減るのではないかな?と思います。

人間関係も同じで「友達がいないといけない」「人と上手くやらないといけない」と思い込みすぎると、辛くなってしまいます。 うまくいっていない関係があっても、「そこまで迷惑をかけていなければOK」「仕事をちゃんとやれていれば良いじゃないか」と思えると、ずいぶん気持ちが楽になりますよ。

編集部:
どうしても、自分が出来ていないことや苦手なことにばかり目が向いて、落ち込んでしまいがちです。

金子先生:
そうですよね。「周りの人が自分に協力してくれない」と思っても、「人は変えられないから、その中でやっていくしかない」と考えたほうが楽になります。絵に描いたような「いい人」に皆がなれる訳ではないのだから、「私はこれで良い」と、もう少し柔らかく考えられる人が増えるといいなと思います。対人関係に意識が向きすぎて苦しくなる人が減ってほしいですね。

編集部:
自分にも他人にも、厳しくなりすぎているんですね。

金子先生:
私はよく「会社は友達をつくる場所ではない」という話をします。

会社は、いわば役割を演じる場所なので、素の自分をそのまま出す必要はありません。もし上手くいかないことがあっても「演じ方がまずかった」と思えればいいだけの話です。

素の自分を否定されると傷つくけれど、「もう少しこう振る舞えばよかったかな」「リーダーならリーダーらしく振る舞いを変えてみよう」くらいに考えられれば、ずっと気楽です。本来の自分自身と、職場で見せる顔との間に、少し余白があった方がいいのだと思います。

編集部:
なるほど。今も先の見えない不安を抱えながら働く方は多いと思います。真面目にやりすぎず、おおらかに、柔軟に生きる力を養う時期なのかもしれませんね。

金子先生:
ここまで健康を保ちながら働き続けられているだけでも、十分頑張っているんじゃないですかね。体調を崩して職場を離れ、また戻ってこられた方がいれば、それも「無事に戻れてよかったですね」という話です。

日本人には、無いものを欲しがったり、自分を責めたりする傾向があるように思います。だからこそ、「今これだけ出来ていればいい」と、あまり高望みしすぎないことが大切です。「こうあるべきだ」「以前のような生活を取り戻したい」と考えすぎると、自分で自分を窮屈にしてしまいますよね。

編集部:
「あの頃はこうだったのに」「もっとこうしたかったのに」という事を考え始めると、辛くなりますよね。

金子先生:
あまり自分や環境を責めすぎず、いつもと違う環境だからこそ、何か一つ新しいことを始めてみるのも良いと思います。

ストレスの発散方法が見つからない方は、その代わりになりそうなことを気軽に試してみて、合わなければ変えれば良い。私の周りにも、外出好きだった方が畑仕事を始めて、今も楽しく続けている方がいますよ。

編集部:
環境が変わったからこそ出会える人や選択肢にも目を向けながら、楽しみながら生活していきたいと思います。金子先生、貴重なお話をたくさんいただき、ありがとうございました!


金子 多香子(かねこ・たかこ)

昭和63年 東京女子医科大学医学部卒業
平成3年 東京女子医科大学大学院卒業(内科学 血液内科専攻)
順天堂大学医学部血液内科助手,北里大学医学部血液内科講師を経て、
平成11年 日本IBM株式会社 本社・川崎事業所 産業医
平成13年 日本IBM株式会社 安全衛生・産業保健部 副部長
厚生労働省 労働政策審議会委員
日本経団連 安全衛生部会委員
平成16年 日本IBM株式会社 Well-Being 企画担当部長
平成18年 株式会社日本ヴィクシー・コーポレーション設立
ウェルビーイング研究所所長に就任 
現在 都内複数企業の産業医を務める